ハニー★カム:日誌

ぱちりとした写真やのんびりまったりその日の一言

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将棋の神様、こんにちは

10/8開催、COMIC SPARK12の新刊サンプルです。

やいぎょくサンプル

■東2ホール ハ12a 【ハニー★カム】
■「将棋の神様、こんにちは」 A6/114P/500円
■下鴨矢一郎×南禅寺玉瀾。短編10話。
■矢一郎視点3話、玉瀾視点3話、矢二郎・矢三郎・矢四郎・二代目視点がそれぞれ1話ずつで計10話です。
■本文サンプルは、追記よりどうぞ★








【将棋の神様、こんにちは】

 先手を取って、いざもはや。
 昔むかしの、事柄ながら。
 カチカチ山は、罪には罰と。
 ささやいたのは、今いずこ。

 ああ、京都の夏は猛暑で酷暑で、極限に夏。
 暑い暑いと繰り返してもこの気温が大人しくなるはずもなく、ひたすらに日々は真夏の様相だ。じりじりと狸と人間と天狗を焼いていく日差しはとんと容赦がない。私は右手に日傘をかざしているけれど、歩を進めるとその半円は揺れて、私の体はそこからわずかにこぼれていく。
 日傘の角度を調整してその加護にこの身を差し入れたら、じわじわと蝉の声も踊った。傘骨に貼られた真っ白な布地越しでも、灼熱の炎を発しているような太陽がまぶしい。少しだけ目を細める。自分と日傘の影を踏みながら、私は長い石段を降りていく。
 ふう、と息を吐き出しそうになる。見るからに暑そうな外見ではなんなので、南禅寺玉瀾は浴衣の袖を揺らしていた。白地に紺の朝顔は目には多少なりとも涼しげだといい。本当であれば私自身が涼しさをかもし出していたらよかったけれど、この真夏の暑さの中ではそれはなかなかに難しかった。
 カラン、と白木の下駄は音を鳴らす。延々と連なっているような印象を受ける石段で、下駄の踵が石とぶつかる。鼻緒も紺。玉瀾は青が好きなんだな、といつだったか矢一郎さんが言葉にしたのを思い出す。矢一郎さんは赤が好きよね、と私は返した。
 まるで蜃気楼のごとくに、京の街がゆらゆらと視界の中でけぶる。八月の真昼に出かけるだなんて、少し無謀だったろうか、とわずかに首を傾げた。私の体も少し傾く。石段の斜め後ろに控えている常緑樹から、じわじわと蝉が合唱する。ああ、向日葵が似合いそうな景観だ、と私は一つを頷いた。
 石段はどうやら打ち水をしたあとらしく、ところどころが濡れていた。それでも、恐ろしく強い日差しの下では、それは簡単にからからと乾いていく。じゅわりと蒸発する空気が湿度を保って石段の熱を空中へと放り投げる。石段は乾いた薄い灰色と、濡れて色濃いままの灰色とが混ざっている。
 洛中の狸はみな春と秋を愛しているので、真夏と真冬は隠れ家にひっこんでいることも多い。暑いのも寒いのも苦手なのだ。まあ、まれに暑さも寒さもものともせず、嬉々として夏と冬を堪能している毛玉もあった。南禅寺玉瀾もその毛玉の中の一匹なのだけれど。
 とはいえ、さすがの私も早々に根を上げそうになる。かなりのところで気温が高すぎて、日差しが厳しすぎるのだ。夕方からにしたらよかった、と私は己の決断を反省する。人に化けたとしても、この身は立派な毛玉であったのだから、毛皮をまとっていることに変わりはないのだ。
 じわじわと鳴く蝉の声が鼓膜で木霊する。ゆらりと揺れるのは私の視界で、なんだか気が遠くなってしまいそう。カラン、と下駄の音が響いているのがどこなのだか分からなくなる。さっきまでわずかに残っていた打ち水は蒸発してしまい、いずこかへと消え去った。残されたのは、からからの灰色の石段のみだった。
 この感覚を知っている、と私は摩訶不思議に囚われる。どこでだったろう、と首を捻れば、パチン、と心の中でその音階が鳴る。ああ、そうだ、となんとはなしに納得した。これは、以前に刹那出会った、あの神様への路に似ている。まあ、出会ったというよりも、私が見かけただけだったけれども。
 あの夕暮れはとても精謐な瞬間だったのを覚えている。とてつもなく音のない空間で、私はあの神様を目にした。恐ろしい姿ではなかった、と思う。なかなかに小さな後ろ姿だった気がする。そう、手を伸ばしたらこの指から擦り抜けてしまいそうな。
 言葉にならない台詞で、「おいで」と鼓膜が震えた。私はぱちりとまばたきをした。なぜって、自分への呼びかけだとは思わなかったのだ。小さな背中は着物か浴衣を着ていた。パチン、と将棋盤を鳴らす肩に、南禅寺の境内の薄闇が影を落とした。
 パチンパチン、と快い音が私の鼓膜を包む。彼は綺麗な、凛々しい音で駒を動かすのだ。さすがは神様、と私はえらく感嘆する。今思えば、なぜ彼を神様だと判定したのだか定かではない。赤玉先生を見たのなら、「天狗だ」と判断する気持ちに似ているかもしれない。それは至極当然なものだ。
 かすかに振り向いた背中に手招きをされる。どうしてだか私は、その動作は怖くはなかった。明確でない畏れが起きたのは、将棋盤の並びが見えたからだ。私にはそんな手は指せない、と目を見開く。恐怖よりも憧憬の心で、盤の駒を目に焼きつける。ひりひりとした熱があるみたいだった。
 ふらり、と私の右足は将棋盤に向かって踏み出した。きしり、と境内の床が濃茶の色を軋ませる。南禅寺玉瀾は裸足だった。私も浴衣を着ていたのかもしれない。もっと近くで見たい、次の手はどうするんだろう、私なら、と心が踊った。
 右足の次に繰り出すのは左足だ。そうと私は自覚はしていなかった。自覚しなくとも自然に行える動作だからだ。でも、その時の南禅寺玉瀾は「左足を」と考えて選択して、まさに裸足の左足を境内の床へ踏み出そうとした。その刹那に。
 ばあっ、と真っ黒な袖が私の手首を掴んで、南禅寺玉瀾の左足は宙に浮く。そして、ぱちり、と私はまばたきをするのだ。

      ◇

「玉瀾!」
「……矢一郎さん」
 下鴨矢一郎は漆黒の浴衣の袖で私をにらんでいる。真っ黒だけれどどうやらそれは麻の地のようで、とても涼しげだった。縦に、白いストライプが入っている。ああ、綺麗な地の浴衣だ、と私は頬がほころぶ。私が笑んだのが気に入らないのか、彼は私の手首を握りしめた。ぎゅう、と幼なじみの力が私の右手にかかる。
 場面は真夏の石段だ。南禅寺の境内はどこへ、と不可思議で周囲を見回したら、漆黒の袖と白地に紺の模様の浴衣がつながっているのに気づく。矢一郎さんは普段の奥手なモーションはどこへやら、ぎり、と私をにらみつけたままだった。まるで一世一代の告白でもしそうな形相をしている。私の右手からこぼれたらしい日傘が石段とぶつかり、カシャン、と音を出す。
 ぷらん、と私の左足は宙を踊る。将棋盤に寄ろうと踏み出したままの白木の下駄は、石段のはるか彼方で静止していた。眼下を見やると、いまだに延々とその段は連なっている。この段を踏み外したとしたらたいそうな高さで、かなり痛いだろう。というよりも、たぶん痛いでは済まされない。白い日傘は傘骨を太陽にさらして、とてもまぷしそうに転がった。
「あらまあ」
 自らがたたずんでいる段と地上までの距離にぞっとするよりも、ふわふわとした感触が勝ってしまい、そうと発した。「あらまあ、じゃない!」と彼は絶叫する。とんでもなくイライラとした顔が一瞬泣きそうになったので、私は世界に自由落下をしそうな自分の状態よりも、よほど彼の表情に驚いてしまう。
 なにかを抑えようとしている彼がそれに失敗したのだか、真っ黒な袖が持ち上がった。白い線が夏空に揺れる。漆黒の麻の地は宙を舞って、どうしてだか南禅寺玉瀾に伸ばされる。ぎゅう、と麻の地に抱き締められたので、今度こそとてつもなく仰天した。私の目の前には、彼の胸の麻の地と喉元しかない。どきどき、と鼓動が鳴った。
 なぜだか彼は言葉を音にしない。まるで舞台で台詞を忘れてしまった義太夫のよう。矢一郎さんは細く見えるのに、その印象が吹き飛んでしまった。私の体にかけられる力が尋常ではない。まあ、細く見えたとしても、それは彼の人間に化けた姿であるのだけれど。ちょっと痛い、と訴えようとした途端に、彼が口を開いた。
「……行こうとしていただろう」
「え?」
「神様のところに」
「矢一郎さん、将棋の神様を知っているの?」
「……るわけがない」
「なんて?」
「知るわけがないだろう、俺には玉瀾のような才能はない!」
 私を抱きすくめたままに、彼は南禅寺玉瀾の首筋にそうと吐き捨てた。しばらくするとひどく苦い顔をして、ようやく白地に紺の柄の浴衣をわずかに解放する。彼の帯が紅色なのが目に入った。でも、彼の腕は私の体を捉えたままだった。下鴨矢一郎がこれっぽっちも照れくさそうではないので、この胸には意外さばかりが込み上げる。
「正二郎に聞いた」
「兄様に?」
「正二郎はずっと、玉瀾が将棋の神様のところへ行ってしまうのでは、と心配していた」
 ぽかん、としている私をよそに、「南禅寺家では将棋にのめり込むあまり、姿を消したりする人がいるだろう」と彼は続けた。ああ、確かに、と私は頷く。でもそれは単純に、南禅寺家には将棋に夢中になる狸が多かったから、そのために行方不明になった狸がそれに当てはめられたのでは、と私は考えていたのだ。ようするに、あまり懸念はしていなかった。
 私の兄の南禅寺正二郎は、いつも柔らかな物腰でとても優しい。私とはかなり性格が違う。兄は勝ち気な成分を母の体内に置いてきてしまい、それを私が母の体内から拾ってきたのではないかと思うくらいだ。でも、正反対に近い二匹はなかなかに仲がよかったのだ。
 兄がそんな心配をしていたなんて、さっぱりと知らなかった。「言ってくれたらよかったのに……」と小さくつぶやいたら、「怖くて言えなかったんだろう」と矢一郎さんは憮然としている。兄は柔軟な思考を持ちながらも古風な狸であるから、言の葉にしてしまう意味を噛み締めたのだろうか。音にすると、それが現実に近づいてしまうということを。
「分かったわ。南禅寺に戻ったら兄と話すから」
 そうと訴えても、真っ黒な袖は私を解放しようとしなかった。彼を安心させようと持ち上げた頬もさっぱりと効果がないらしく、えらく仏頂面を継続している。たいそう近い距離のまま。私の胸はなにかを期待してはどきどきと鳴っていて、むしろふしだらだろうか、とそちらを心配してしまう。私の体を捉えている彼の腕と手のひらが熱を持っていて、それが私に伝染する。
「俺も正二郎と同じだ。将棋の神様とやらは見えたことがない」と彼は口火を切った。確かに、現在南禅寺の名を持つ狸の中では、「将棋の神様の姿を見た」と公言するものはいない。ひょっとしたら、そんな経験をしたのは南禅寺玉瀾だけなのかもしれなかった。けれど歴代の南禅寺でも、見たり見なかったりを繰り返したのだから、そんなに気にすることもないのに。優しい兄の苦悩を思っていたら、「俺も心配なんだ」とおかしな台詞が世界には降る。
「いつか、玉瀾は将棋の神様に連れていかれてしまうのではないのか、と」
 私はとんでもなく絶句してしまった。この人はなにを言っているのだろう。下鴨矢一郎と南禅寺正二郎は、二匹とも立派な毛玉となりながらも、そんな心配をその毛のうちに隠していただなんて。二の句が次げなくなる。斜め上にある辛そうな彼の表情が、それは嘘ではないと証明していた。兄様も優しい目元を厳しくして悩んでいたのだろうか、と現実がちくりと私の胸を刺す。
 そういえば、狸将棋大会を復活させる準備をしていた時期に、矢一郎さんはよく南禅寺を訪れていた。私と彼は件の幼い頃のわだかまりが残った状態であったから、挨拶程度であったけれど、彼はしきりと兄を訪ねてきていたのだ。もしや、あの時にそんな話も出ていたのだろうか。てっきり将棋大会の話ばかりをしているのかと思っていたのに。そんな南禅寺玉瀾は甘かったのだろうか、と少しだけおかしくなる。
 漆黒の袖は白地に紺の柄の浴衣を掴まえたままだ。「行かせやしない」という下鴨矢一郎の意思だろうか。真っ黒な麻の地に引かれている白い線は、ひょっとしたら彼の涙なのかもしれない。彼の手のひらから、じわりと私の浴衣とその内側の腕に熱が伝わる。問題は、石段を踏み外したら怪我をする、という話ではなかったのだ。
 どうやらとても愛されている、と知ってしまった。まるで法則性のない感情だ。彼と私の兄とでは、その色も多少は異なるのだろう。それでも、たぶん二匹の毛玉の願いは一つだった。下鴨矢一郎と南禅寺正二郎は、私を信用していないのだろうか。もしや、黙って二匹を放り出して姿をくらましてしまう、恩知らずの狸だとでも? くすくす、と口端だけでこっそりと笑う。
「行かないわ。矢一郎さんと兄様の傍にいる」
 漆黒の浴衣は相変わらずに渋い顔だ。「神様に選ばれたのなら、玉瀾の意思は関係ないんじゃないのか」と南禅寺玉瀾を正す彼は心底真剣で、続きの台詞を音にするのがはばかられた。でも、言わなくちゃ。確率を上げよう。だって、私は言の葉に祈るのだもの。
 じわじわと蝉の声が私の鼓膜に戻ってきた。じりじりと真夏の日差しも私の白地の浴衣の袖を焼く。カラン、と下駄の音も鳴らした私は彼の背中に腕だって回した。
「行く時は、矢一郎さんと兄様と一緒に行く」
 連れていってあげる、と彼を見上げたら、「正二郎はともかく、俺は門前払いな腕だと思うぞ」と真っ赤な頬がうんざりと吐き出していた。

(ああもう、なんて心配性なのだか、私の愛する毛玉たちは!)



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