ハニー★カム:日誌

ぱちりとした写真やのんびりまったりその日の一言

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スカイリバーは、不可思議屋

9/10のレベルコンプレックス/FFFHT4の新刊を入稿しました!

半夕1

■B6/P296
■半夕その1。短編40話。サイトの半夕テキストを加筆・修正したものです。書き下ろしあり。
■サイトのテキストは削除済みです。
■本文サンプルは、追記よりどうぞ★








【スカイリバーは、不可思議屋】

 鮮やかなのは、空のそれ。
 なんとかなるさ、と呟いて。
 開いたものが、希望なら。
 きらり、と光る、それは朝露。

 ああ、はっきり言って、約束なんてするものじゃあない。
 これっぽっちも信憑性のない、不確かなもの。わたしはそうと断言をするほど厳しくはなかったし、罪のないそれを憎んでいるのでもない。ふわふわした明確でないそれが心を温めるのを実感したこともあるし、柔らかく消えてしまうそれで涙することもあると知っているだけだ。
 豪炎寺夕香十五歳には、果たされていない約束があった。
 わたしはその相手を恨んではいないし、相手が違えたくて約束をしたのではないと分かっている。何事もなければ、彼女は翌週には見事にそれを叶えてみせたはずだった。
 大好きな相手なのだし、と小さく息を吐く。測ってみたら重いのだろうそれは稲妻町の梅雨空に溶けた。今日もじんわりと湿度が高い。早く夏にならないかな、と梅雨まっただ中の雷門の空を見上げた。ほの明るい灰色の上空はまるでわたしの心を映しているみたいだった。お母さん、と心の中だけで声にした。
 七月の頭に、稲妻町の神社でも朝顔市がある。東京の入谷で開かれる三日間の催しと比較するとさすがに規模が小さめだったけれど、稲妻町は入谷の朝顔市に出荷をしている生産者と契約しているらしい。毎年、綺麗に大輪で鉢は咲き誇った。
 今朝のテレビで来週の朝顔市のニュースを見てしまい、わたしはその約束を思い出した。幼いわたしは当時もテレビで見かけたその花弁に夢中になってしまい、母を困らせたのだ。入谷の朝顔市の混雑を知っている母は、可愛い娘の願いを叶えたかったらしいけれど、少し難しいと判断したらしい。「稲妻町の朝顔も綺麗よ」と代案を出された娘は笑って、「やくそくね」と指切りをした。
 そして約束は果たされず、まだこの手の中にある。自宅のリビングに飾ってある写真の中の母は笑顔だ。この写真を撮った時には、まさか夫と幼い息子と娘を遺して旅立たなければならないとは考えてもいなかったろう。誰が悪いわけでもない。
 父と兄は、わたしと母が交わした約束を知らない。知っていたら、小学一年生の時に授業で蒔いた朝顔の花が枯れてしまい、たいそう泣いた理由が分かったはずだ。でも、父も兄も困惑してはぽかんとしていた。あれは心優しい女の子が、単純に花が枯れてしまったのを嘆いたのではないのだ。きっと二人には、今年もそのわけは分からないのだろう。
 それでいい、と思う。わたしと同じように彼女を愛していた二人に、これ以上悲しい思いをさせたくなかった。遠慮をするな、と顔をしかめる父と兄の表情が浮かぶ。でも、遠慮をするのでもなく意地を張っているのでもなく、なんとはなしにそうと言えなかったのだ。誓って自然な気持ちなので、伝えたくなったタイミングで言葉にしようと思った。
 来週が入谷の朝顔市ということは、今週末が稲妻町の朝顔市のはず。そういえば、町内会の掲示板にポスターが貼ってあったような、と首を傾げる。灰色煉瓦に沿って立っているそれを思い浮かべる。雷門中学校の廊下の掲示板にも同じものがあったかもしれない。
 縁日も出るはずだし、半田のお兄ちゃんを誘ってみようかな、と閃いた。彼の浴衣姿を見たことがないので、着てくれたらいいな、と夢を見る。無難に紺だろうか。それとも漆黒だったりするだろうか、とこの胸は夢想した。まさか赤じゃあないよね、と一人で笑った。
 少し気分が向いたので、遠回りして神社に行ってみることにした。境内に、縁日の屋台が準備されているかもしれない、と心が弾む。彼の代わりに灰色煉瓦を蹴飛ばして歩く。コツン、とわたしのローファーの踵が音を立てる。彼はよく「俺は灰色煉瓦に笑われている」と苦い顔をするけれど、わたしにはそうは思えなかった。じっと眼下に目線を投げる。
 はてさて、と不可思議でグレーの魂みたいな塊を見やると、「冤罪ですよ」と言わんばかりに乾いたそれがある。「そうだよね」と無性に笑いそうになった。半田真一二十二歳は、ちょっとだけ被害妄想ぎみで、なんともかんとも大げさなのだ。くすり、と小さく笑みがもれる。
 カツン、と神社への石段をたくさん昇ってみたけれど、境内への道筋は空っぽだった。まだ水曜だからかなあ、と少し残念になった。その代わりに、やはり見覚えのあったポスターを発見する。ああ、やっぱり今週の土曜と日曜だ、と頷いた。
 どちらかでいい。彼の都合が空いていたらいいな、と梅雨空に祈る。わたしは神様を信じていないので、神様には祈らない。坂道に祈る。虹に祈る。星や空に祈る。それから、彼の愛している灰色煉瓦にも。
 よろしくお願いします。神社の石段を降りて、ぶつかった先の舗道でぺこりと小さく頭を下げた。「そんなことを言われても」とグレーの魂は困惑したに違いない。彼の代わりにくすくすと笑って、うちに帰ったら半田のお兄ちゃんにメールをしよう、とわたしは足取り軽く進んでいくのだ。

      ◇

「半田のお兄ちゃん、青!」
「うん」
「ああ、水色!?」
「ええと、うん」
 豪炎寺夕香は土曜の昼過ぎに仰天した。半田真一に限って、まさか水色だとは思わなかったのだ。大人の男の人らしく、てっきり普通に紺か黒か、彼らしく和っぽい緑を選択すると思っていた。とてつもなく意外だ。
 ほう、と感嘆の息を吐きながら、物珍しくて彼をじっと眺めてしまう。居心地の悪そうな彼は頬を歪めて、「マックスに借りたんだ」と白状した。なるほど。松野のお兄ちゃんのチョイスなら頷ける。彼の友達の松野空介さんは、その名のとおりに空色が似合っていて、雷門中学校の時分からピンクと水色のストライプの帽子がトレードマークだった。
「買ってもよかったんだけど、正直どれがいいのか分からなくて」
 と彼は苦そうに言葉を続ける。「お店で呼んでくれたらよかったのに」と訴えたら、「いやだ。恥ずかしいし」と仏頂面になった。なにが恥ずかしいのだかよく分からない。女の子同士だったら普通のことが、男女であると異なるのだろうか。豪炎寺夕香と半田真一は男女である、と至極当然のことを考えたら、少しくすぐったい気分になった。
「豪炎寺にも訊いたんだけど、あいつのは朱色らしいから遠慮した」
 そうと苦笑する彼がおかしい。もしや、雷門大学構内でばったりと出会った二人は、(わたしとの約束であることは主題に上がらずに)浴衣の話に花を咲かせたのだろうか。またもやくすぐったい気分が盛り上がる。でも、確かに兄の浴衣は赤よりの朱色だ。紅色に近くて素敵ではあるのだけれど、「夏はもっと涼しげなのにして!」と妹は叫んでしまう。赤が好きな兄は妹の主張なんて聞きやしない。
「やっぱり、無難に紺でよかったのかなあ」
 ほとほとまいった、といった風体だ。綺麗なスカイブルーの浴衣はちょっと渋い感じの辛子色の帯が結ばれている。これまた松野のお兄ちゃんらしい、といつも楽し気にしていた眼差しを思い出しては感心する。少しだけ濃い水色に辛子色は、なんだか彼が愛していたチームのユニフォームの色に似ていた。ふむふむ、と一人で頷いていたら、彼がほとほと首を傾げる。
「で、なんで夕香ちゃんは浴衣じゃないわけ?」
 世界に軽く絶望した瞳がわたしを睨む。「わたしも浴衣にするから、半田のお兄ちゃんもそうしてね! とか言ってたよね……」と呟く口端が引きつっている。もうなにも信じられない、とでも叫び出しそうだ。
「去年よりも浴衣の長さが足りなかったの。気がついたのが着ようとした時間で、裾をほどいて直そうとしたんだけれど、間に合わなくて」
 そうなのだ。わたしは昨年の秋から成長期に突入したらしく、ぐんぐんと背が伸びた。それまでずっと小柄だったから、浴衣も身長が小さめのサイズを選んでいたのだ。それが裏目に出てしまった。「ええと、ごめんなさい。裾が短かすぎるのは綺麗じゃないなあ、と思って。直している途中だけれど、うちに浴衣見にくる?」と弁解した。「いや、夕香ちゃんが嘘をつくことはないって知ってるから、いいよ」と頬を歪めた。
「そうか。そうだね、背が伸びたもんな」
 しみじみと言葉にする彼がどうにもこうにも嬉しそうだったので、どきりとする。今年から、浴衣は一般的なサイズを手にしても着付けで困ったりしなさそう。そうと気づいたら、わたしも無性に幸せな気持ちになった。

~続く~



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